2014年06月03日
「嗚呼〜、見ててドキドキする様な、真っ向勝負のバカが見ていたい!」
今日、仕事の真っ最中、携帯電話が鳴った。
東京からの電話番号(03)だった!
仕事中だし、きっと元本業関連の電話だし、その時には出なかった。
後で留守電を聞くと、随分前からお世話になっているビジネス誌の女性編集者だった。
取材で香川に行くので、撮影を頼めないか?という依頼の電話だった。
彼女と同じ会社の編集者に、ボクがカメラマンを廃業したことは伝えてあったので、既に知っていると思っていたのだが....。
仕事から帰って、山の畑のキュウリやナスに水を遣りながら、ボクは彼女に電話を折り返した。
「ご無沙汰してます!仕事のご依頼みたいですが....。知らなかった?ボク、カメラマン廃業したんだけど...。」
「えっ?そんなに才能があるのに...。」
彼女とは随分前からのお付き合いで、東京在住の頃は、沢山の会社へ社長インタビュー等にご一緒させていただいた。
彼女はボクの写真のことをかなり買ってくれてて、仕事を沢山回してくれたし、仕事の後にはよく飲んだ。
酒に酔ってもアツく仕事や、ボクの写真について語る、何ともサムライな女史だった。
期待をかけて随分可愛がって貰ったのに、ボクは直接廃業することを伝えていなかった...。
いや、彼女以外の沢山の仕事仲間、元上司、いろいろな恩人たちにも...。
「経済的に立ち行かなくなったから...。」
それが、最も分かり易い廃業の理由ではある!
でも、本当はその随分前から、ボクはず〜っと足踏みをしていた。
ボクは人を撮るのが好きで、それが得意なカメラマンだった。
風景も、旅雑誌等の取材もしていたから、仕事として一応は撮るけど...。
フリーカメラマンとしてではなく、写真家としてボクが発表した写真展のほとんどは人間を撮ったものだ!
でも...。
「人を撮ることが面白くなくなった...。」
皆、妙に小賢しくて...。
変にまとまってて...。
バカにならない(なれない?)、つまんない人たち。(失礼!)
見ていても、ちっともドキドキしない!
<補足> 皆、人にどう思われるかを意識し過ぎてか?喜怒哀楽を表情に出さず、能面顔になってしまっている様な気がしていた。笑顔もこころからではなく、愛想笑い、作り笑顔と感じることが多かった。子供すら表情が少なくなり、ハメを外さなくなり、ボクは撮ってても面白くなくなってしまった。
経済効率とか、燃費がいいとか、負けないための◯◯とか、そんなのちっとも面白くない!
「ええやん!無駄が多くても、勝っても負けても、例え失敗ばかりでも...。」
「人間なんて、生きてること自体が無意味で無駄なんだから...。効率なんか考えなさんな!やるだけやって、それで燃え尽きたらいい。後に小さな成功を、ちっぽけな功名を残そうとしなさんな!」
見ていてドキドキする、スカッとする、そんな真っ向勝負のバカを見ていたい!
小さく失敗なくまとまろうとしている、そんなつまんない奴なんて見ていたくない!
それが、ボクが写真を撮らなくなった理由の一つ。
カメラマンてねっ、幾ら自分がアーティストだと思っていても、所詮は輝く太陽を映す鏡、月にしか過ぎない!
自分が光るんじゃなくて、光ってる人や物を、反射するだけ...。
それはそれで素晴しい才能、大切な仕事だと思うし、自分もそうして20年以上生きて来た。
如何にいい光を反射できるか、如何にその光を届けることができるか、カメラマンはそこが勝負だ。
でも、太陽がいなくては、月は輝くことができない!
ボクの太陽は、その輝きを失ってしまった様だ...。
それは、もちろん”ボクにとって”であって、人々が本当に輝きを失ってしまった訳ではないのだろうけど...。
ボクは月であることを放棄して、「自分が太陽になろう!」って思ってしまったのかも知れない。
舞台の下で、輝く太陽にレンズを向けてるはずのボクは、何を勘違いしたか、ひょんなことから自ら舞台に上がってしまった。
撮る側から、撮られる方へ!
観る側から、観られる方へ!
自分で撮った写真で伝えることよりも、自分自身が直に伝える楽しみを知ってしまった。
それは、相手の息遣いが聞こえる程に近く、目に見えて、肌に感じるリアルな繋がりで、リアクションもストレートに返って来るし...。
写真展の時には味わえなかった、この感覚。
もう、ボクは月には戻れない!
誰かの光を伝える、”媒介”としての役割はもういい!
ボク自身が輝いて、直接、その光を伝えるから...。
「お前らが、ひとっちゃバカになってくれへんから、オレがバカになるしかないやろが!」
ちょっとした燃料(ビール500ミリ缶一本)で、こんなにアツく燃えられる男も、中々おもろいでっしゃろ?
よろず語り部 夢追人拝
東京からの電話番号(03)だった!
仕事中だし、きっと元本業関連の電話だし、その時には出なかった。
後で留守電を聞くと、随分前からお世話になっているビジネス誌の女性編集者だった。
取材で香川に行くので、撮影を頼めないか?という依頼の電話だった。
彼女と同じ会社の編集者に、ボクがカメラマンを廃業したことは伝えてあったので、既に知っていると思っていたのだが....。
仕事から帰って、山の畑のキュウリやナスに水を遣りながら、ボクは彼女に電話を折り返した。
「ご無沙汰してます!仕事のご依頼みたいですが....。知らなかった?ボク、カメラマン廃業したんだけど...。」
「えっ?そんなに才能があるのに...。」
彼女とは随分前からのお付き合いで、東京在住の頃は、沢山の会社へ社長インタビュー等にご一緒させていただいた。
彼女はボクの写真のことをかなり買ってくれてて、仕事を沢山回してくれたし、仕事の後にはよく飲んだ。
酒に酔ってもアツく仕事や、ボクの写真について語る、何ともサムライな女史だった。
期待をかけて随分可愛がって貰ったのに、ボクは直接廃業することを伝えていなかった...。
いや、彼女以外の沢山の仕事仲間、元上司、いろいろな恩人たちにも...。
「経済的に立ち行かなくなったから...。」
それが、最も分かり易い廃業の理由ではある!
でも、本当はその随分前から、ボクはず〜っと足踏みをしていた。
ボクは人を撮るのが好きで、それが得意なカメラマンだった。
風景も、旅雑誌等の取材もしていたから、仕事として一応は撮るけど...。
フリーカメラマンとしてではなく、写真家としてボクが発表した写真展のほとんどは人間を撮ったものだ!
でも...。
「人を撮ることが面白くなくなった...。」
皆、妙に小賢しくて...。
変にまとまってて...。
バカにならない(なれない?)、つまんない人たち。(失礼!)
見ていても、ちっともドキドキしない!
<補足> 皆、人にどう思われるかを意識し過ぎてか?喜怒哀楽を表情に出さず、能面顔になってしまっている様な気がしていた。笑顔もこころからではなく、愛想笑い、作り笑顔と感じることが多かった。子供すら表情が少なくなり、ハメを外さなくなり、ボクは撮ってても面白くなくなってしまった。
経済効率とか、燃費がいいとか、負けないための◯◯とか、そんなのちっとも面白くない!
「ええやん!無駄が多くても、勝っても負けても、例え失敗ばかりでも...。」
「人間なんて、生きてること自体が無意味で無駄なんだから...。効率なんか考えなさんな!やるだけやって、それで燃え尽きたらいい。後に小さな成功を、ちっぽけな功名を残そうとしなさんな!」
見ていてドキドキする、スカッとする、そんな真っ向勝負のバカを見ていたい!
小さく失敗なくまとまろうとしている、そんなつまんない奴なんて見ていたくない!
それが、ボクが写真を撮らなくなった理由の一つ。
カメラマンてねっ、幾ら自分がアーティストだと思っていても、所詮は輝く太陽を映す鏡、月にしか過ぎない!
自分が光るんじゃなくて、光ってる人や物を、反射するだけ...。
それはそれで素晴しい才能、大切な仕事だと思うし、自分もそうして20年以上生きて来た。
如何にいい光を反射できるか、如何にその光を届けることができるか、カメラマンはそこが勝負だ。
でも、太陽がいなくては、月は輝くことができない!
ボクの太陽は、その輝きを失ってしまった様だ...。
それは、もちろん”ボクにとって”であって、人々が本当に輝きを失ってしまった訳ではないのだろうけど...。
ボクは月であることを放棄して、「自分が太陽になろう!」って思ってしまったのかも知れない。
舞台の下で、輝く太陽にレンズを向けてるはずのボクは、何を勘違いしたか、ひょんなことから自ら舞台に上がってしまった。
撮る側から、撮られる方へ!
観る側から、観られる方へ!
自分で撮った写真で伝えることよりも、自分自身が直に伝える楽しみを知ってしまった。
それは、相手の息遣いが聞こえる程に近く、目に見えて、肌に感じるリアルな繋がりで、リアクションもストレートに返って来るし...。
写真展の時には味わえなかった、この感覚。
もう、ボクは月には戻れない!
誰かの光を伝える、”媒介”としての役割はもういい!
ボク自身が輝いて、直接、その光を伝えるから...。
「お前らが、ひとっちゃバカになってくれへんから、オレがバカになるしかないやろが!」
ちょっとした燃料(ビール500ミリ缶一本)で、こんなにアツく燃えられる男も、中々おもろいでっしゃろ?
よろず語り部 夢追人拝