2014年07月15日
子供たちの自尊感情の欠如は、どこから?

昨日の続き!
宇多津中学校図書館司書の大川さんの講演で、ボクが一番引っかかったワードはこれ、
「子供たちの自尊感情が低いんです...。」
昨日ボクが書いたことは、全てここに集約される。
そうなんです!現代の子供たちの自尊感情は、極めて低い様にボクも感じる。
親に愛されて育った実感がないのではないか?
望まれて、この世に生を受けた実感がないのではないか?
親にすら受容されてない、疎外感を感じながら育ってはいないだろうか?
ボクはそう危惧している!
交流会終了後、ボクは大川さんに声をかけさせていただいた。
「先程の講演で、『子供たちの自尊感情が低い。』とおっしゃっておられましたけど...。学校の教育現場で、やはりそう感じるんですか?ボクも感じてはいたんですけど...。」
「はい。」
「家庭の事情もあるかとは思いますが、乳幼児期にああいう扱いを受けて育てば、無理もないことだとボクは思います。視線を合わせずに生返事とか...。携帯などを操作しながらの”ながら子育て”とか...。」
ボク達大人は、手厚く育てるべき幼児期に放ったらかしにしがちで、むしろ放っておいてやって欲しい、思春期にヤケに手厚いサポートをしてしまってるんじゃないの?
幼児期の愛情不足を補う様に...。
「三つ子の魂百まで」、もう正直、今更手遅れだと思うんだけど...。
「不来方の
お城の草に寝転びて
空に吸はれし
十五の心」
石川啄木
思春期ってのはさ〜、自分自身で求めて、自分自身で探って、自分自身で懊悩して、自分自身で試行錯誤し、自分自身で壁にぶつかり、自分自身で掴む時期だよね?
それを大人が先回りして、「こういうものが必要だろうから...。」とか、「こういう風に悩むんだよね?だから、こんなサポートを...。」とか、正直要らなくない?
お仕着せは、むしろ自立を妨げるんじゃない?
”自分で手に入れた感”っていうかな?苦労して、”自分だけで成し遂げた感”というか?
そんな、カタルシスは必要だよね?
それを大人の手柄にするのは、ボクはズルいと思う!
いいじゃん!失敗しても...。
いいじゃん!壁にぶつかっても...。
どうせ大人になったら、自分自身で何とかしなきゃなんないんだよ!
上手くできようが、できまいが...。
今は学生ということで、その予行演習期間みたいなもの。
本番はまだ先だし、本当にどうにもならなかった時にサポートできる様に、親も先生もいる訳だよね?
どうにもなくなるまで、手を出さない育て方ってのも大事じゃない?
先に先に回って、”転ばぬ先の杖”を差し出し過ぎると、子供たちは失敗した経験から学ぶことができない!
そこからリカバリーする術を学習できない!
”親”っていう字は、木の上に立って見るって書くよね?
つまり、手を出さずに見守るってことさ!
もちろん、どうにもならなくなった時は、全力で、命がけでサポートする。
それが、”親”であり、人生の先輩としての大人の立場なのではないだろうか?
子供たちに”失敗の機会”、”葛藤の時間”を与えることこそ、大人の務めなのではないだろうか?
一人で生きて行ける様に育てることこそ、本当の意味の”育児”だと思う。
子供の遊び相手になってやることや、オムツ替えをすることだけが育児じゃ〜ない!
話が変わるけど、ボクは釣りをする人だけど、いろいろな釣り方がある中で、「穴釣り」って分野があるのだけど...。
テトラポッドや岩などの隙間にエサのついた針を落し込んで、根魚(穴の中に潜んでいがちな魚 例えば、カサゴ、メバル、アイナメなど)の目の前でエサを散らつかせる。
普通はそれらの魚が外に出て来るのを待って、穴の外側で釣るものなんだけど、もうね、直接目の前にエサを送り込んでしまう釣り方。
何かね...、それが浮かんだ...。
子供たちが穴から出て来るまで待てないっていうか...。
子供たちを、余計ずぼらにするっていうか...。
「君たちさ〜、自分で求めなよ!自分で探しなよ!大人たちの敷いたレール通りじゃ、つまらなくないかい?沢山の本から、自分自身で見つけ出した自分にとってのこの一冊!そういう本に出会った時の喜びは、誰かに薦められた本とは、一味も、二味も違うよ!もちろん、スカを食らう時だってあるさ...。でも、だからこそ苦労して手に入れた一冊の有難味が増すんじゃん!」
ああ、グズグスな文章になって来てるけど...。
ボクが何が言いたいのか、分かる?
よろず語り部 夢追人拝
追伸 今の学校の現場が、そんな”子供たちの失敗”を許す余裕もないのが、現状なのかも知れない!
今の、学校の現場は、中学校に限らず、小学校でも、幼稚園や保育所でも厳しい状態なのだろうと想像する。
でも...。
2014年07月15日
「図書館ボランティアネットワークかがわ」交流会の講演を聞いて、我思う...。

さあ、「図書館ボランティアネットワークかがわ」交流会の記事、再開です!
「ユープラザうたづ」の二階の会場に着くと、受付で「会場内での写真撮影は禁止です。」と言われた。
「ええ〜、そんなの言われたの初めてだよ!去年まで何も言われなかったのに...。」
そして、上の「さぬきの国 紙芝居サミット」企画宣伝グッズの掲示をお願いしたら...。
「各団体、配布用にA4サイズのチラシのみ展示可能です!」
の対応...。
「ああ〜、折角作ったのに...。残念!」
並べられたイスの最後列に席を取り、入口近くのテーブルに、封筒に入れた企画書のみを展示させていただく。
活動報告のアルバムを置くスペースはなかった...。
今回の講師は、地元、宇多津中学校の図書館司書、大川治美さん。
「それは1枚のポップから」〜宇多津中学校図書館活動実践報告〜というタイトルでの講演だった。
で...。
ここから書くことは、紙芝居と絵本の読み聞かせのおっさん、よろず語り部 夢追人としてではなく、中三、中二の娘を持つ、一父親の意見と感想とだということを宣言させていただきたい!
というも、ボクは彼女の講演を決して笑顔では聞けなかった...。
思春期の子育て真っ最中である、父親の立場を離れられなかったからだ...。
が故に、かなり否定的な意見を表明せざるを得ない!
でも、これは講師の方の活動を否定するものでも、中傷するものでもない!
「一人の父親が過剰反応しているだけ...。」と受け流していただいて結構だ。
しかしながら...。
「こんな受け取り方、こんな考え方もあるのだな。」という意味で、参考意見の一つにしていただけると幸いだ!
さて、宇多津中学校では、図書館司書として大川さんが就任してから三年間の間に、図書館の蔵書の貸し出し件数が倍々のうなぎ上りの増加を記録しておられるらしい!
まず、内装のレイアウトにかなり気を遣っておられる様で、校内の備品で捨てられるはずだったソファーを再利用し、また、おはなし会等にもよく使われるフロアマットのスペースを展開、そして、衝立て等の陰に一人用のイスもレイアウト、独りになりたい時もあるだろう、思春期のメンタリティに寄り添った形だ。
そして、「先生、まるで本屋さんみたいだね?」との感想を貰ったという、新刊を平積みする展示法。
そして、ある才能のある図書委員により始まった、生徒たち自身による、お薦めの本の紹介手書きポップ。
選書は、生徒たち、授業に蔵書を使う教科の先生方のリクエストを優先し、なるべくリアルタイムに新刊を購入・導入するべく、手続きを見直したという。
貸し出しも、「予約制」を導入して、生徒たちの「読みたい」という思いにレスポンスよく対応。
こう書くと、「いいことばかりじゃん!どこに否定的な意見を挟む余地があるのさ?」という声が上がるだろう...。
実際、講演会を聞いておられた、ほとんどの参加者(読み聞かせボランティアさん&図書館スタッフさん&学校司書さん)は、和やかに、笑顔で聞いておられたし、
「大川さんの様な司書さんが香川県内全ての学校に配置できたら、如何に生徒たちが本に興味を持ち、読書率が上がるか...。」
との賛辞が飛び交った。
ボクもそう思うし、一面喜ばしいことの様に感じた。
しかし、その反面...。
余りに手厚過ぎて、「そこまで、腫れ物と触る様に?そこまで、転ばぬ先の杖を用意し、外堀を埋めてやる必要があるの?」と、感じてしまったのも事実だ!
例えば、バレンタインデーの時期の前には、お菓子(特にチョコレート)の本のリクエストが多いので、多めの冊数を購入して準備。
親父としての意見 「そんなん、自分で買わせろ!もしくは、町の図書館の本棚を漁って来い!」
例えば、秋の合唱コンクールに合わせて「合唱のノウハウ本」を購入。引き合いが多ければ、各クラスに当たる様に冊数を増やす計画。
親父としての意見 「皆でシェアせんかい!同じ本、クラスに一冊ずつ要らんやろ?『兄弟で同じ物を買い与えないと、喧嘩するから...。』って論理か?」
例えば、「子供に満足に食事を作らなかったり、家事も疎かな家庭の子もいるので...。」と、「13才にもできる基本的な家事のハウトゥー本」を購入。
親父としての意見 「.......。」(苦笑)
例えば、「いじめとかの悩みもあると思うので...。」いじめや引きこもりを題材にして、”前向きな終り方”で描かれた小説などを購入。
親父としての意見 「..... 。」(涙)
例えば、「ストレスが多い年頃なので...。」癒し系な感じの漫画を購入。
親父としての意見 「だからって漫画じゃなくても...。」
例えば、「同じ中身の本でも、表紙がアニメっぽいイラストだと手に取り易いみたいで...。」
具体例 「魔女の宅急便」(角野栄子作)を、敢てイラスト表紙の文庫版を購入。
親父としての意見 「確かに貸し出し件数は増えるだろうけど、そこまでおもねらなくても...。」
例えば、「生徒間の目下のトラブルの原因である...。」SNS(ソーシャルネットワークサービス)関連の本を購入。
親父としての意見 「そりゃ、確かに必要だろうけど...。妊娠やエイズが怖いからって、学校でコンドームを配るやり方だな...。」(品の悪い例えで申し訳ない!)
例えば、「いろいろ家庭の事情があるので、両親揃ってて親子仲良しみたいな本は、誰彼には薦められない。」
親父としての意見 「結婚してない人の前では、結婚の話はNGみたいな?子供のいない人の前では、子供の話はできないみたいな?本当に腫れ物に触る様な気遣いだね?そこまで気遣われたら、却って、気まずくな〜い?」
まあ、いろいろ書いたけど...。
自分の思春期を考えてみて、当時の親や先生たちは、これ程までに腫れ物に触る様な気遣いで、ボク達に接していたろうか?
ボクは、ヤンキー全盛の時代に中学生だったんだけど...。
「ナメねこ」「マジソンバック」「ボンタン」「短ラン」(最早、長ランではなかった!)「剃りこみ」「学ランの裏地に刺繍」「裏ボタン」
ボクはどノーマルの学ランを着て、「先生の犬」と、ヤンキーから目をつけられる存在だったけど...。
当時のあいつらだって、それぞれ家庭の事情もあっただろうし、勉強ができないなどの劣等感とも戦っていたことだろう。
先生や社会は、彼らを気遣うどころか忌み嫌い、彼らの存在自体を否定してたけど...。
また、そのことに対する反発のエネルギーが、彼らを強くもし、また、「見返してやる!」という発奮の起爆剤にもなっていた様に思う。
事実、ヤンキー上がりで社会的に大成している人は少なくない!
話は戻るけど...。
正直ボクなら、ここまで先回りして杖を差し出され、「あなたのためを思って...。」的なことをされると、むしろうんざりする!
現代の思春期の子たちの受け取り方は、ボクら世代の感じ方と、最早180度違うのであろうか?
興味深いエピソードとして、
「ぱじ」(村上たかし作)集英社(コミック)についての紹介で、
両親に死なれた女の子が、おじいちゃんと住んでいて、親代わりのおじいちゃんと孫娘の生活を描いたコミック。
おじいちゃんがキティちゃんのアップリケ(刺繍だったかも)をするのだけど、当然上手くできなくて、とてもキティちゃんには見えない。
でも、孫娘は大喜びしておじいちゃんに...。
というシーンがあるらしい!
「◯年生の男子が、『先生、あのシーンいいですよね?』って、笑顔で言うんですよ!大人が読んでも本当に癒される、素敵なお話なんです!」
講演会を聞いていた皆は、思わず「いい話!」と笑顔がほころんだけど...。
ボクには笑えなかった...。
「中学校◯年生の男子が、女の先生(司書)に、素直にこんな一面を見せてしまうものか?今時の子は...。ボクら世代だったら、泣ける話に内心感動し、目に涙を溜めていたとしても、それを他人に悟られる様な真似はしなかったであろう。ましてや、女の先生相手に...。照れもあるけど、男の見栄で、『そんな本やかオレが読むかい!先生、オレは男やで!なんでそんな女が読む様な本を読まないかんの?情けない。』くらい言いかねないお年頃のはずなのに...。」
最近の子って、幼いんか?
それとも、逆に老成してるのか?
いかん!疲れて来た...。
老成してるのはボクか?
取り敢えず、今はここまで...。
続きは、まだまだあります。
中三、中二の娘の父ちゃん拝
追伸 ここまで好き勝手書いてるけど、これでも、司書の方に文句を言ってるつもりはないんです!
ジェネレーションギャップに戸惑ってるだけのこと...。
今、正に、思春期の娘たちと戦ってますので...。
皆、親子間でもここまで気遣って、毎日を送ってるの?
なら、ボクはかなり昔気質な父親をやってることになるな〜。
まっ、変える気もないけど...。