2014年07月09日
夢追人の想う、「母親(父親)の膝の上でしか伝わらない聖域」
もうお気づきだとは思うけど、ボクが子供たちの前で読み聞かせる絵本には、かなり偏りがある!
今では、紙芝居のおっさんがメインになってるけど、ボクも最初は絵本の読み聞かせが始まりだった。
ブログ「よろず語り部 夢追人 絵本語り」は、そのタイトルを見ても分かる通り、紙芝居屋のブログではなく、元々絵本の読み聞かせのブログである。
段々と紙芝居に軸足が移って来たのだ。
もちろん、今でも絵本は読むし、ボク個人で買った絵本も少しはある。(子供たちの絵本を入れたら、結構な冊数になる)
「読み聞かせ請負人」として待機している時は、「これ読んで!」と持て来られた絵本を読むので、子供に絵本の選択権があるのだけど、ボクが子供たち(複数)の前で読み聞かせる絵本を選ぶ時には、決して踏み込まない”聖域”が存在する!
でも、これはボクの想う聖域であって、他の読み聞かせボランティアさん(主に女性)には、むしろ是非読んであげたい絵本のセレクトに入っているかも知れない...。
分かり易く具体的な例を出すと、
どい かやさん作・絵の「ハーニャの庭」とか...。
これは、ボクが勝手に想ってるだけなんだけど、ボクにとっての「母親の膝の上でしか伝わらない聖域」って奴だ!
ボクは、これを子供たち皆の前で読むことはない。
「ハーニャの庭」はハーニャ(猫)の暮らす家を定点観測的に描いた絵本で、季節の移ろいや、庭や、裏山に現れるいろいろな生き物との交流、飼い主の日常などを淡々と、しかし、繊細に、しっとりと表現している素敵な絵本だ。
うちのかみさんの大のお気に入りで、彼女作の「ちりとちりり」シリーズも何作かうちの本棚にはある。
ボクもチビを膝に乗せて、何度も何度も読んで来た絵本だ。
でも、ボクはこの作品を沢山の子供たちの前で読もうとは思わない!
あの絵柄の細かさ、物語の描き方の繊細さは、どうしても膝の上の距離感でないと伝わらない気がして...。
チビ(三女)が2歳半の頃、ボクは資格を取るために講座を受講していたかみさんに代わり、週に二・三日、一日8時間、子守りをしていた。
ほぼ毎回、当時住んでいた近隣の、東京都清瀬市の大型児童館に通っていた。
長女の時も、次女の時も、決して絵本を読んでいなくはなかったと思うが...。
ボクにとって、これ程絵本を集中的に読んだ時期はなかった気がする。
児童館の幼児部屋に入ると、チビはボク用に大きなクッションを引き摺って来てボクを座らせ、本棚からツバメの様に絵本を運んで来る。
1冊読んでまた次を、2冊読んでまた次を...。
本棚に置いてある10冊程の”その月のセレクト”を、ほぼ毎回、全作読まされる。(男の子が好きそうな戦隊ものの写真絵本は手に取らない)
一通り読むと満足してボクの膝から下り、おもちゃの方へ行って他の子供に混じって遊び始める。
たま〜にボクの方を振り返り、ボクが微笑み返すと、安心した様に遊びに戻って行く...。
そんな生活を、一年以上続けた!
膝の上にいる時、汗かきだったチビから立ち昇ってくる甘酸っぱい梅酢の様な匂い...。
懐かしくも、切なくなる思い出だ!
あの距離感、膝に伝わる温もり...。
同じ絵本を、同じ方向から見る。
読んでいる最中にチビが、気になった所に手を伸ばす。
「ああ、鹿さんがおるな...。」
「こっちにはお花が咲いてるよ!」
読むのを中断しながら相槌を打ち、時に顔を見合わせ...。
笑顔を交わす。
この光景がボクにとって、”読み聞かせ”の原風景だ!
「おはなし会」的に、皆を集めて読むのはあくまで二次的なもの。
ましてや、紙芝居のおっさんの実演は....。
今でこそ、ボクは絵本の読み聞かせをパフォーマンスとしてやっているけど、それと“膝の上”は、同じ絵本を読みはするけど、次元の違うものだと認識している。
あっ!後、子守唄代わりの枕元での絵本も...。
他に適切な言葉が浮かばないし、皆に分かり易く、この「読み聞かせ」って語彙を使っているけど、ボクは正直余り好きな言葉ではない!
「絵本の朗読」じゃ何だし...。
「絵本語り」は、他の人には通じないし...。
皆、「読み語り」とか、いろいろ新しい造語を生み出すけど...。
イマイチしっくり来ないね?
語彙は兎も角、母親(父親)と一対一の時間と、一人の読み聞かせボランティアと複数の子供たちの時間は、正直似て非なる物だとボクは思う!
前者は、やっぱり特別なんだよ!
幾ら、ボクたち読みき聞かせボランティアの技術が優れていたって、幾ら、選書に力を入れたって...。
親子の時間に勝るものはない!
ボクはそう思う。
もちろん、そんな聖域的な作品を皆の前で読んだっていいのだ!
まあ、ボクのキャラじゃないし...。
正直、ボクの声色、雰囲気と噛み合ないってだけのこと...。
女性で、優れた読み聞かせの演じ手であれば、例え、皆の前で読んでも、子供たち一人一人のこころに、”母”の存在を感じさせることが可能かも知れない...。
膝の上の気分を味わうことすら、可能かも知れない...。
残念ながら、ボクには無理だ...。
だから、ボクには手を出せない聖域がある!
いや!手を出せないのではなく、手を出さない、「出したくない!」結界なのだ...。
母子(父子)の蜜月のために、取って置きたい領域!
ボクはむやみに踏み込めない....。
大事にしたいところだ!
よろず語り部 夢追人拝
今では、紙芝居のおっさんがメインになってるけど、ボクも最初は絵本の読み聞かせが始まりだった。
ブログ「よろず語り部 夢追人 絵本語り」は、そのタイトルを見ても分かる通り、紙芝居屋のブログではなく、元々絵本の読み聞かせのブログである。
段々と紙芝居に軸足が移って来たのだ。
もちろん、今でも絵本は読むし、ボク個人で買った絵本も少しはある。(子供たちの絵本を入れたら、結構な冊数になる)
「読み聞かせ請負人」として待機している時は、「これ読んで!」と持て来られた絵本を読むので、子供に絵本の選択権があるのだけど、ボクが子供たち(複数)の前で読み聞かせる絵本を選ぶ時には、決して踏み込まない”聖域”が存在する!
でも、これはボクの想う聖域であって、他の読み聞かせボランティアさん(主に女性)には、むしろ是非読んであげたい絵本のセレクトに入っているかも知れない...。
分かり易く具体的な例を出すと、
どい かやさん作・絵の「ハーニャの庭」とか...。
これは、ボクが勝手に想ってるだけなんだけど、ボクにとっての「母親の膝の上でしか伝わらない聖域」って奴だ!
ボクは、これを子供たち皆の前で読むことはない。
「ハーニャの庭」はハーニャ(猫)の暮らす家を定点観測的に描いた絵本で、季節の移ろいや、庭や、裏山に現れるいろいろな生き物との交流、飼い主の日常などを淡々と、しかし、繊細に、しっとりと表現している素敵な絵本だ。
うちのかみさんの大のお気に入りで、彼女作の「ちりとちりり」シリーズも何作かうちの本棚にはある。
ボクもチビを膝に乗せて、何度も何度も読んで来た絵本だ。
でも、ボクはこの作品を沢山の子供たちの前で読もうとは思わない!
あの絵柄の細かさ、物語の描き方の繊細さは、どうしても膝の上の距離感でないと伝わらない気がして...。
チビ(三女)が2歳半の頃、ボクは資格を取るために講座を受講していたかみさんに代わり、週に二・三日、一日8時間、子守りをしていた。
ほぼ毎回、当時住んでいた近隣の、東京都清瀬市の大型児童館に通っていた。
長女の時も、次女の時も、決して絵本を読んでいなくはなかったと思うが...。
ボクにとって、これ程絵本を集中的に読んだ時期はなかった気がする。
児童館の幼児部屋に入ると、チビはボク用に大きなクッションを引き摺って来てボクを座らせ、本棚からツバメの様に絵本を運んで来る。
1冊読んでまた次を、2冊読んでまた次を...。
本棚に置いてある10冊程の”その月のセレクト”を、ほぼ毎回、全作読まされる。(男の子が好きそうな戦隊ものの写真絵本は手に取らない)
一通り読むと満足してボクの膝から下り、おもちゃの方へ行って他の子供に混じって遊び始める。
たま〜にボクの方を振り返り、ボクが微笑み返すと、安心した様に遊びに戻って行く...。
そんな生活を、一年以上続けた!
膝の上にいる時、汗かきだったチビから立ち昇ってくる甘酸っぱい梅酢の様な匂い...。
懐かしくも、切なくなる思い出だ!
あの距離感、膝に伝わる温もり...。
同じ絵本を、同じ方向から見る。
読んでいる最中にチビが、気になった所に手を伸ばす。
「ああ、鹿さんがおるな...。」
「こっちにはお花が咲いてるよ!」
読むのを中断しながら相槌を打ち、時に顔を見合わせ...。
笑顔を交わす。
この光景がボクにとって、”読み聞かせ”の原風景だ!
「おはなし会」的に、皆を集めて読むのはあくまで二次的なもの。
ましてや、紙芝居のおっさんの実演は....。
今でこそ、ボクは絵本の読み聞かせをパフォーマンスとしてやっているけど、それと“膝の上”は、同じ絵本を読みはするけど、次元の違うものだと認識している。
あっ!後、子守唄代わりの枕元での絵本も...。
他に適切な言葉が浮かばないし、皆に分かり易く、この「読み聞かせ」って語彙を使っているけど、ボクは正直余り好きな言葉ではない!
「絵本の朗読」じゃ何だし...。
「絵本語り」は、他の人には通じないし...。
皆、「読み語り」とか、いろいろ新しい造語を生み出すけど...。
イマイチしっくり来ないね?
語彙は兎も角、母親(父親)と一対一の時間と、一人の読み聞かせボランティアと複数の子供たちの時間は、正直似て非なる物だとボクは思う!
前者は、やっぱり特別なんだよ!
幾ら、ボクたち読みき聞かせボランティアの技術が優れていたって、幾ら、選書に力を入れたって...。
親子の時間に勝るものはない!
ボクはそう思う。
もちろん、そんな聖域的な作品を皆の前で読んだっていいのだ!
まあ、ボクのキャラじゃないし...。
正直、ボクの声色、雰囲気と噛み合ないってだけのこと...。
女性で、優れた読み聞かせの演じ手であれば、例え、皆の前で読んでも、子供たち一人一人のこころに、”母”の存在を感じさせることが可能かも知れない...。
膝の上の気分を味わうことすら、可能かも知れない...。
残念ながら、ボクには無理だ...。
だから、ボクには手を出せない聖域がある!
いや!手を出せないのではなく、手を出さない、「出したくない!」結界なのだ...。
母子(父子)の蜜月のために、取って置きたい領域!
ボクはむやみに踏み込めない....。
大事にしたいところだ!
よろず語り部 夢追人拝